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マリー・ド・メディシスの生涯


「マリー・ド・メディシスの生涯 / Vie de Marie de Médicis」ルーベンス作 
 1621-1625年頃 <リシュリュー翼・3階>

この作品について

マリー・ド・メディシスの生涯ルーヴル美術館のリシュリュー翼3階に、「メディシスのギャラリー」とか「ルーベンスのホール」と呼ばれる大きな展示室があります。この部屋を占めている絵画は、「マリー・ド・メディシス」というフランス王妃の生涯をテーマに描かれた連作です。世界に名だたる名画が多数所蔵されているルーヴルの中でも、ひときわ強い存在感を放つ作品です。

描いたのは17世紀を代表する画家「ルーベンス」です。バロック最大の巨匠、と言っても差し支えないでしょう。

ちなみに、日本でもお馴染みの児童文学「フランダースの犬」で、亡くなる間際のネロ少年がようやく見ることができたあの祭壇画(「キリスト昇架」「キリスト降架」)を描いた人物でもあります。

それぞれの絵画には王妃マリーの生涯で重要なシーンが描かれていて、全てを見るとマリーの半生を追うことができます。そのため盛り込まれている内容は非常に豊富です。王妃は神格化され、神話の神々や天使が多く登場し、壮麗な一大絵巻といった作品になっています。

神話的なモチーフ以外にも、作品中にはこの時代の絵画に特有のアレゴリー(寓意、象徴)も多く登場します。それらの意味を知っているかどうかで、鑑賞したときの面白さに違いが出てくるのではないかと思います。

王妃が辿った生涯(史実)と、絵画の中で暗示されている事柄について、いくらかでも予習してから見ると、この作品の鑑賞はより楽しいものになるはずです。

というわけで、ごく簡単にですが、ここでマリーの生涯を見てみましょう。


マリーの生涯

マリー・ド・メディシスは、1573年にイタリア・フィレンツェの名門「メディチ家」に生まれました。イタリア名は「Maria de' Medici/マリア・デ・メディチ」と言います。
27歳になった1600年に、フランス国王アンリ4世のもとに嫁ぎます。そして翌年、のちのルイ13世となる王太子を出産しました。
1610年、夫であるアンリ4世が暗殺されると、幼い息子ルイ13世が即位します。マリーは摂政として、フランスの政治を担いますが、政治的に支持されず、貴族や成長した息子ルイ13世から不信を買うようになります。1617年にはルイ13世にブロワ城幽閉を命じられてしまいました。
2年後にブロワ城から脱出、その後ルイ13世と和解するものの、1631年にはフランスを追放され、ブリュッセルに亡命。1642年、ケルンで亡くなっています。

夫・アンリ4世は、その政策によって国民からは人気がありましたが、無類の女性好きとしても知られており、生涯に何十人もの愛人がいました。マリーとの結婚は前妻と離婚が成立した3ヶ月後のことで、実は裕福なメディチ家からの持参金目当ての政略結婚だったと言われています。

夫との間に愛情は育たず、また、当初フランス語がよく出来なかったマリーは、フランスでの生活で孤独を募らせていきました。結婚して10年後に夫が暗殺されると、マリーはあまり気に入っていなかったルーヴル宮を出て、リュクサンブール公爵の邸宅に移ります。故郷フィレンツェのピッティ宮殿をお手本に改築したその建物が「リュクサンブール宮殿」です。パリで最も美しい公園と言われるリュクサンブール公園と同宮殿は、マリー・ド・メディシスが住んだお城だったのです。

現在ルーヴル美術館に展示されているこの連作「マリー・ド・メディシスの生涯」は、もともとはリュクサンブール宮殿内に展示する目的で、マリー本人がルーベンスに発注したものでした。(1621年〜1625年:製作、1693年:ルイ14世のコレクションを経て、1816年:最終的にルーヴルに移管。)


マリーの生涯は平穏とは言い難いものだったと思います。あまり幸福そうには見えない結婚生活、夫(アンリ4世)の暗殺、実の息子(ルイ13世)との争い、最期は国外に追放され、異国で亡くなるという人生です。

ルーベンスが創りあげた華やかな世界感と、実際のマリーの生涯には大きな隔たりがあるように感じます。美化され尽くしたこの絵画を見る時、ルーベンスの神業としか言いようのない表現力に圧倒される一方で、最期にマリーの心を支配していたのはどんな感情だったのかを想像すると心が苦しくなります。

ルーベンスの壮麗な絵画が、マリーの孤独をかえって強調する結果になっているような気がしてなりません。


作品を見てみよう

ルーベンスがこの作品を描いたのは、1621年〜1625年頃。マリー・ド・メディシスは、1573年に生まれて1642年に亡くなっています。国外に追放されるのは1631年です。


マリードメディシスの生涯配置マリーがルーベンスに発注した頃を年代で辿ると、ブロワ城から脱出してルイ13世と和解したあたりです。従って「マリー・ド・メディシスの生涯」というタイトルですが、その後の出来事は描かれていないのですね。生誕から始まり、結婚、出産、統治を中心に構成されています。


左の図は、展示室内の配置を表したものです。便宜上、ここでは作品に1から24までの数字を振りました。

メディシスギャラリーから他の部屋へと続く出入り口がは2カ所あります。この図で言うと、上に位置する22〜24番付近の出入り口と、下に位置する11番付近の出入り口です。

11番の方ではなく、22〜24番の絵がある出入り口の方(つまりこの図で1番の作品)から鑑賞をスタートすると、マリーが生まれるところから順番に見られます。

マリー・ド・メディシスの生涯 マリー・ド・メディシスの生涯
■15番付近から22〜24番方向を撮影 ■22番付近から11番方向を撮影




マリー・ド・メディシスの生涯 24枚の連作ということですが、No.22、23、24 は、生涯の出来事ではなく肖像画です。それぞれマリーのお母さん、マリー本人、マリーのお父さんが描かれています。

下にリンクした作品は上の配置図に対応して、1から24の番号を振っています。小さな画像か、フランス語のタイトル部分をクリックすると、拡大画像が別ウインドウで開きます。画像はそれぞれ私が撮影してきた写真なので、あまり上手には写ってないです(ごめんなさい!)。鑑賞には向かないかもしれませんが、どんな絵か確認するための資料くらいにはなるでしょうか・・。

タイトルは、展示室で作品の下に表示されていたものです。長いものもありますが、やたらに長い場合は、別の言い方ではこういう風にも言います、というような「言い換え」や「別名」、あるいは状況の説明であることが多いです。
タイトルの後に続く、定冠詞、数字、月名、数字(例:2番のタイトルであれば、最後の「 le 26 avril 1573」)は、その出来事が起こった実際の日付です。



(1)
マリー・ド・メディシスの生涯1 Les Parques filant le destin de la reine Marie de Médicis, sous la protection de Jupiter et de Junon
Les Parques filant la destinée de la reine

1枚目は、出生前の天界の様子から始まります。マリーが生まれる前、神様たちがこの娘はどんな運命にしましょうか、と相談している場面です。画面の上の方で寄り添っているのは、神話の中で最高神とされるユピテルと妻のユノー。その下で「Les Parques」という生死を司る三人の女神たちが、運命の糸を紡いでいます。

(2)
マリー・ド・メディシスの生涯2 La Naissance de la reine à Florence le 26 avril 1573
1573年、フィレンツェにてマリー誕生。名門メディチ家のお嬢様です。マリーは光り輝き、故郷フィレンツェを表す擬人像が手を差し伸べています。

(3)
マリー・ド・メディシスの生涯3L'Instruction de la reine, dit aussi L'Education de la reine
王妃の教育の場面。マリーが本を覗き込んでいます。本を開いているのは、知恵の女神ミネルヴァです。脇には三人の女神がいて美を授けています。床には画材や楽器があり、芸術科目も教育に含まれていたことが伺えます。頭上にいる翼のついた帽子をかぶっているのは、メルクリウス(商業の神・旅人の神)です。ミネルヴァもメルクリウスも、この後度々登場します。

(4)
マリー・ド・メディシスの生涯4 Henri IV reçoit le portrait de la reine et se laisse désarmer par l'amour
天使が抱えたマリーの肖像画をアンリ4世が受け取る場面。肖像画は、今で言うならお見合い写真に相当します。頭上で見守っているのは、ユピテルとユノー。各々の両脇には、鷲と孔雀が描かれています。ユピテルは鷲を従えた姿で、ユノーは孔雀と共に描かることが多いです。このことから「一緒に孔雀が描いてあるということは、この女神はユノーかな。」などと推測できます。
アンリ4世は、マリーの肖像画に見とれているような表情で描かれています。しかし、この結婚は政略的な性質の強いもので、アンリ4世がマリーを見初めたわけではありませんでした。実際、マリーと結婚した時にもアンリ4世にはお気に入りの愛人がいて、新婦マリーにはほとんど興味を示さなかったそうです。

(5)
マリー・ド・メディシスの生涯5Les Epousailles de la reine ou La Réception de l'anneau, dit encore Le Mariage par procuration de Marie de Médicis et d'Henri IV, à Florence le 5 octobre 1600
結婚式で指輪を着けてもらうマリー。1600年10月、場所はフィレンツェにて。「 par procuration /代理人を立てて」とあるように、結婚式にはアンリ4世は多忙のために来られず、マリーの叔父さんが新郎の代理を行いました。そんなことでいいの? 花嫁としては先行き不安ですよね? それとも、案外普通のことだったのかな。
ルーベンスは、この時たまたまフィレンツェに居て、結婚式にも参加しています。この絵にも自らを登場させました。マリーの後ろで大きな十字架を掲げているのが若き日のルーベンスです。

(6)
マリー・ド・メディシスの生涯6Le Débarquement de la reine à Marseille, le 3 novembre 1600
王妃マルセイユに上陸。この絵は24枚の中でも特に有名な作品です。イタリアからやってきた花嫁は、とても堂々としています。神や天使に祝福され、場面はとても賑やかで華やいでいます。両手を開げて迎えている青いマントを着けた人物は、国家としてのフランスを象徴的に人物像で表したもの。マントの模様は王家の紋章(fleur-de-lis)です。

(7)
マリー・ド・メディシスの生涯7 L'Arrivée de la reine à Lyon, ou La Rencontre du roi et de la reine, le 9 décembre 1600
王妃がリヨンに到着し、王と対面します。アンリ4世は結婚式に出席しなかったので、二人はここで初めて出会います。ルーベンスは、アンリ4世をユピテルに、マリーをその妻ユノーになぞらえて描きました。ユピテルが最高神であることからそう描いたのでしょうが、神話の中でユピテルは多情の神(簡単に言えば、浮気もの、プレイボーイ)としても有名です。この点でもアンリ4世の実際と重なるのは、単なる偶然だったのでしょうか。
画面下には、町としてのリヨンを象徴的に表現した人物が凱旋車に乗って二人を見上げています。車を引くのは2頭のライオン。このライオンもまた、町の名称「Lyon」にちなんだものです。
No.4〜7は結婚に関することがテーマになっています。マリーには政治的な功績や華々しい英雄的活躍があったわけではないので、ルーベンスはマリーの生涯を24枚(肖像画を除けば21枚)もの大作に描くのに苦労したと言われています。21枚中4枚が結婚をテーマにしているのも、そのあたりと関係があるようです。

(8)
マリー・ド・メディシスの生涯8 La Naissance du dauphin(futur Louis XIII) à Fontainebleau, le 27 septembre 1601
王太子(のちのルイ13世)誕生、フォンテーヌブローにて。
「生まれた〜!」というホッとして穏やかなマリーの表情に注目。スリッパも半分脱いで、かなりリラックスしている様子です。王太子は健康を象徴する擬人像に抱かれています。多産の擬人像が、子供と花で満たされたカゴをマリーに差し出しています。

(9)
マリー・ド・メディシスの生涯9 Préparatifs du roi pour la guerre d'Allemagne ou La Remise de la régence à la reine, le 20 mars 1610
ドイツとの戦争の準備。青地に金百合の珠を二人で手にしています。二人の間にいる、マリーと手をつないだ少年は、王太子である幼き日のルイ13世です。

(10)
マリー・ド・メディシスの生涯10 Le Couronnement de la reine à l'abbaye de Saint-Denis, le 13 mai 1610
王妃の戴冠式。サン・ドニの大聖堂にて。アンリ4世のドイツ遠征を前に、マリーは国内の統治を任されます。天使たちが祝福の金のコインを降らせています。
「戴冠式」と聞くと、ダヴィッド作の「ナポレオン一世の戴冠式」(1806年)を連想します。構図も雰囲気も似ていますよね。ルーベンスのこの作品から影響を受けていたことが伺えます。

(11)
マリー・ド・メディシスの生涯11 L'Apothéose d'Henri IV et la proclamation de la régence de la reine, le 14 mai 1610
「アンリ4世の神格化とマリー・ド・メディシスの摂政宣言」という邦題で、この作品も有名です。簡単に言うと「アンリ4世は亡くなって、マリーが政治を摂ることにしたよ」という場面。画面の左半分には天界に連れて行かれるアンリ4世が描かれています。暗殺だったせいか、無理矢理 天に連れて行かれて不本意っぽい表情です。地面で槍を刺されて苦しむ蛇は、暗殺者を象徴しています。

日付をよく見ると、No.10の戴冠式の翌日の出来事であることが分かります。王の暗殺により即位したルイ13世は、この時点で9歳だったため、マリーが摂政となりました。絵の右半分には、マリーが喪服姿で玉座に座っています。ここでも人物として表現された国家フランスが登場し、マリーに世界を表す水晶玉のようなもの(統治の球)を差し出しています。「フランス」がマリーの手に渡った瞬間です。

(12)
マリー・ド・メディシスの生涯12 Le Concert(ou Conseil) des dieux pour les mariages réciproques de la France et de l'Espagne,
dit autrefois Le Gouvernement de la Reine

フランスとスペインの同盟のための神々の会議。神によって選ばれたフランスの統治者というマリーの役割を表現するため、神々と協議するマリーの姿が描かれました。
タイトル通り神様総出演です。作品の下に書かれた解説には、あらゆる神様の名前が挙がっていました。ユピテルとユノー、アポロン、ミネルヴァ、ヴィーナス、マルス、フリアイなど。画面左側、ユピテルと思われる神様を中心に何人かが集まって、世界を表す大きな玉を囲んでいます。そこには2羽の鳩がとまっていて、フランスとスペインの婚姻による協力を象徴的に表しています。

(13)
マリー・ド・メディシスの生涯13 La Prise de Juliers, le 1er septembre 1610,
dit autrefois Le Voyage de Marie de Médicis au Pont-de-Cé
(en Anjou, en 1620)

ユリエール(ジュリエール)の占領。 遠景に広がっているのは降伏したドイツの町「Juliers/Jülich」。オーストリアに占有されていた町を征服しました。マリーは立派な兜をかぶり、手にはバトンを持ち、勝利の女神から冠を授かろうとしています。その横でラッパを吹いて勝利を伝えているのは、ローマ神「ファーマ」。名声の神様です。地上には、ライオンを従えた高邁の神が、マリーに付き添っています。ライオンは図像解釈上、寛大で情け深く、勇気に満ちているとされています。

(14)
マリー・ド・メディシスの生涯14 L'Echange des deux princesses de France et d'Espagne
sur la Bidassoa à Hendaye, le 9 novembre 1615

フランスとスペインの王女たちの交換。1615年、ルイ13世はスペイン王女のアンヌ・ドートリッシュを妻に迎えます。フランスからは、フェリペ4世(アンヌの弟で後のスペイン国王)のもとに、マリーの娘のエリザベートが嫁いでいきました。右側の、金百合模様の青いマントを着けている人物は、何度も出て来ていますが、フランスの擬人像。反対側のライオンのついた兜を着けている人物は、スペインの擬人像です。

(15)
マリー・ド・メディシスの生涯15 La Félicité de la Régence
摂政政治の至福。元帥コンチーニ殺害後には、ブロワ城へ連れて行かれることになるマリーですが、この作品でルーベンスは輝かしい摂政時代のマリーを描きました。左手は世界を表す球体に手を乗せて、右手は公正や正義のアレゴリーである天秤を掲げています。

(16)
マリー・ド・メディシスの生涯16 La Majorité de Louis XIII.
La reine remet les affaires au roi, le 20 octobre 1614

ルイ13世の成年。当時の基準でルイ13世が成人と認められる年齢に達し、親政(自分で政治を行うこと)を始めると、母子で対立するようになります。ルイ13世の頭には冠が置かれ、国政を表す船の舵を引き継いだことを表します。船を漕ぐのは、それぞれ「Force/力」「 Religion/宗教」「 Justice/正義」「 Cncorde/和平」です。手に球体を掲げたフランスの擬人像が堂々とした姿で描かれています。

(17)
マリー・ド・メディシスの生涯17 La Reine s'enfuit du château de Blois dans la nuit du 21 au 22 février 1619
ブロワ城からの脱出。息子によって2年間幽閉されていたブロワ城から逃げます。王妃の半生を描くにあたって、この件は扱いが難しいテーマだったはずです。画面全体が暗くて重く、緊迫感が漂っていますが、遠景には夜明けの景色も見えています。勇気と賢明さを表すミネルヴァがマリーを助け、高官たちがアングレームまでお供します。

(18)
マリー・ド・メディシスの生涯18 Le Traité d'Angoulême, le 30 avril 1619,
dit autrefois La Réconciliation de Marie de Médicis avec son fils, à Angers

アングレームの条約。ルイ13世に和解の提案が受け入れられ、玉座に座るマリー。メルクリウスが平和の印であるオリーブの小枝を差し出しています。旅人や商業の神様「メルクリウス」は、翼のついた帽子と靴を身に着け、魔法の杖(2匹の蛇が巻き付き、先端に翼が付いている)を持った姿で描かれます。この場面では、メルクリウスの姿でオリーブを差し出しているのはルイ13世である、との見方もあるようです。マリーの横には二人の枢機卿がいて、それぞれに何やらマリーに助言しています。

(19)
マリー・ド・メディシスの生涯19 La Conclusion de la paix, à Angers, le 10 août 1620
アンジェの平和の結論。メルクリウスに導かれ、平和の聖堂に到着したマリー。白い服の平和の女神は、要らなくなった武器を燃やしています。その横で、ボルゲーゼの剣闘士のようなポーズで、「悪徳」が怒り狂っています。

(20)
マリー・ド・メディシスの生涯20 La parfaite Réconciliation de la reine et de son fils,
après la mort du connétable de Luynes, le 15 décembre 1621,
dit autrefois L'Entrevue de Marie de Médicis et de son fils
[ à Coussières, près de Tours, le 5 septembre 1619],
ou encore La Paix confirmée dans le Ciel

1621年12月15日の元帥リュイネの死後、王妃と息子の完全なる和解。マリーは右手にメルクリウスの魔法の杖(平和の象徴)を手にし、まるで神のように描かれたルイ13世とともに、雲の切れ間の方へ上がって行きます。正義の擬人像は、雷で狙いを定めてヒュドラ(亡くなった寵臣リュイネの象徴)を打とうとしています。

(21)
マリー・ド・メディシスの生涯21Le triomphe de la vérité ou La parfait et sincére union de la reine-mére et de son fils
真理の勝利。画面の上の方でマリーとルイ13世が向き合っています。母と息子の会談に出席させるために、時の擬人像が真理の擬人像を引き上げようとしています。

(22)
マリー・ド・メディシスの生涯22Jeanne d'Autriche 1547-1578
Grande Duchesse de Toscane mére de Marie de Médicis

Duchesse は公爵夫人の意味。トスカーナ大公夫人で、マリー・ド・メディシスの母の肖像画。

(23)
マリー・ド・メディシスの生涯23Marie de Médicis en reine triomphante
戦争の女神「 ベローナ」に扮したのマリー・ド・メディシスの肖像。

(24)
マリー・ド・メディシスの生涯24François 1er de Médicis(1547-1587)
Grand Duc de toscane, pére de Marie de Médicis et fils de Côme 1er

ducは公爵の意味。トスカーナ大公で、マリー・ド・メディシスの父、コジモ一世の息子の肖像画



参考文献
岩波「世界の美術 リュベンス」クリスティン・ローゼ・ベルキン著 2003年6月発行
中央公論社「ルーヴル美術館の絵画」ローレンス・ゴウイング著  1992年1月発行


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