
コンシェルジュリー
セーヌ川の右岸からシテ島の方向を見ると、おとぎ話に登場しそうな、とんがり屋根の城が見える。その古くて、しかも美しいゴシック様式の建物が「コンシェルジュリー」である。日本語では「王室管理府」と訳される。簡単に言えば、国王が執務を行う場所だった。
現在ここは、その歴史を伝える資料館として一部が公開されている。公開されていない部分は、裁判所と警視庁の一部として使われている。
14世紀から牢獄として使われていたのだが、フランス革命時には、4000人以上と言われる人がここに収容され、94年の間に約2600人が処刑台へ送られた。「ギロチンへの入り口」と呼ばれたのはこの頃である。処刑台に送られた人の中には、マリーアントワネットや、ルイ15世の愛妾デュバリー夫人、ロベスピエールなどが含まれる。
入口を入ってすぐにあるのは、床面積1800平方メートルの大広間である。もとは王に使える人たちの食堂だったところで、牢獄時代には男性の囚人の収容所だったそうだ。
2階には、独房の様子も再現されている。
囚人達の扱いは、お金をいくら払えるかによって違っていたそうである。
最も貧しい囚人は「わら族」と呼ばれ、窓のない真っ暗な、ネズミの走り回る、わらの敷かれた劣悪な環境の留置房に大勢で入れられた。いくらかのお金を払えた囚人は、簡単なベッドのある4〜5人部屋に入れられた。さらにお金を払うことが出来た者は、家具のある独房に入り、食事も贅沢なものが配給されたという。再現されたそれぞれの部屋には、囚人を模したマネキン人形が置かれていて、鉄格子の向こうからこちらを見ているようだった。
ほかに、ギロチン台へ送られた人のリストや牢獄の様子など、胸の苦しくなるような展示が続くが、ここで最も心に重く響いたのはマリーアントワネットの独房だった。
1793年1月に夫である国王ルイ16世が処刑されたのち、残されたマリーアントワネットは、義理の妹、娘とともにタンプル塔に幽閉されていた。その後、同1793年8月に一人でここに隔離され、女囚208号となった。そして処刑までの約2ヶ月半をここで過ごすことになる。
現在見学できるその部屋は、当時の様子を再現したものである。
他の囚人達の入っていた部屋と比べるとかなり広い。食事も、簡素ながら、スープからオートミール、野菜、肉、デザートまであり、他の囚人とは比べ物にならないくらい豪華だったそうである。
しかしそうは言っても、あまりにも暗く、湿った、陰気な部屋である。小さなベッドにうすい布団。テーブル一台にイスが2脚。何の模様かも分からないような、薄汚れて、はがれかけた壁紙。部屋にはつい立てがあり、その手前には二人の憲兵が見張りのために常駐していた。寒さとストレスで、アントワネットはひどく出血していた、というエピソードを漫画「ベルサイユのばら」で読んだのを思い出した。こんな部屋で処刑を待っていたら、そりゃあ出血もおこるだろう、と思った。
ここにも、他の部屋と同様にマネキン人形が置かれていた。アントワネットらしき人物は、イスに腰掛けこちら側に背を向けている。二人の見張りのうち一人は、つい立てから部屋の中を覗くようにして立っている。もう一人は、暇つぶしでもしているかのように、テーブルにトランプを並べている。
この部屋を見学しながら、ヴェルサイユ宮殿のあのきらびやかな王妃の居室を思い出し、比較せずにはいられなかった。大きすぎる歴史の波の中で、アントワネットは、自身の運命をどう思っていたのだろう。
写真撮影が許可されている場所だったのだが、撮影する気になれなかった。
同じシテ島にあるサントシャペル教会は、入場を待つ観光客の長い列がいつでも続いているのだが、このコンシェルジュリーが混雑することは、そう多くはないようである。たしかに、処刑を待つ人の部屋の再現や、革命で散った人たちの資料は、見て楽しいという種類ものではないかもしれない。しかし、この建物の見学が、実際に目で見て歴史に触れる機会となることは間違いない。特に、ヴェルサイユ宮殿に行った人には、セットでこちらも訪れてみることをおすすめしたい。
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