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マルモッタン美術館 Musée Marmottan


マルモッタン美術館高級住宅街として知られる16区。ラヌラグ公園とブーローニュの森の間に位置する美術館です。メトロの出口からは、10分ほど歩きます。

駅周辺のにぎやかな通りから、公園の敷地に入ると、辺りは少しづつ静かになっていき、さらに緑の中を進むと、やがて美術館が現れます。絵画の世界に少しづつ入り込んでいくようで、私はこの道のりが気に入っています。

この美術館は、フランス語での名称を「Musée Marmottan Monet」(マルモッタン・モネ美術館)といいます。このことからも分かるように、世界で最大とも言われるモネのコレクションを誇る美術館です。


モネのコレクション以外にも、ルノワール、ベルトモリゾ、ピサロ、シスレーなど、日本でも人気のある画家の作品が多数所蔵されています。
絵画が好きで普段から美術展によく足を運ぶ、という人なら、以前どこかで見たことのある作品に再会できるかもしれません。逆に、絵画には普段あまりが馴染みがないという人でも、名前くらいは聞いたことがあるような画家の作品がたくさんあるので、親しみやすいと思います。

最も有名なのは、何と言ってもモネの「印象・日の出」。「睡蓮」も様々なパターンがあります。
モネが使っていたパレットや手紙などもあり、モネファンには特に、興味を惹かれる展示が多いです。ジヴェルニーやオランジュリー美術館と並んで、モネが好きな方にとてもおすすめの美術館です。

マルモッタン美術館の成り立ち

美術館になっている建物は、ヴァルミー公爵(クリストフ・エドモンド・ケラーマン卿)という人物が、狩りを楽しむ際の別荘として建築したものです。数年後にそれを ジュール・マルモッタンが購入し、邸宅に作り替えました。

ジュール・マルモッタンが亡くなると、息子ポール・マルモッタンに財産は受け継がれます。その時、ポールは27歳。エブルー県の議員を勤めていましたが、受け継いだ財産は議員の職を辞するに充分な額でした。

もともと政治色の濃い県の仕事よりも、芸術的な分野に傾倒していたポールは、県の仕事を辞め、美術品の収拾に情熱を注ぐようになります。特に愛好していたのはナポレオン時代の芸術でした。その後、コレクションを世間に公開することを望んでいたポールは、邸宅を美術アカデミーに寄贈します。
こうして、1934年「マルモッタン美術館」が誕生しました。

<最初の贈与>
ポールが収拾した油彩画、調度品、ブロンズ像など多様な美術品が公開された後、「贈与」という形でこの美術館はさらに発展していきます。

最初の寄贈者は、ヴィクトリーヌ・ドゥ・モンシー夫人。この女性の父であるジョルジュ・デ・ベリオ氏は、マネ、ピサロ、モネ、シスレー、ルノワールなどを診察する医師でした。美術愛好家でもあったベリオ医師は、300を超える絵画やパステル画、水彩画、デッサンを所有していました。そのコレクションの大半は、診察を担当していた印象派の作品で占められていたそうです。

ベリオ医師が亡くなると、コレクションは娘のヴィクトリーヌに引き継がれました。ヴィクトリーヌは一人娘で、彼女には子供がいなかったので、これらをマルモッタン美術館に寄贈しました。「印象派」という名称が生まれるきっかけとなった、モネの「印象・日の出」も、ベリオ医師から引き継いだヴィクトーリヌのコレクションに含まれていたものでした。

展示作品の中に、ルノワールによるヴィクトリーヌの肖像画(Portrait de Victorine de Bellio/1892)があるので、訪問したら是非見てきてください。


<次なる贈与〜ミシェル・モネより〜>
マルモッタン美術館の発展において、もう一人の重要な寄贈者は「ミシェル・モネ」です。ミシェル・モネは、クロード・モネ(←睡蓮を描いた画家のモネ)と、最初の妻カミーユ・ドンシューの次男です。兄のジャンと母カミーユの死後、父クロード・モネの再婚相手アリス・オシュデの子供と一緒に育ちました。

ミシェルには相続人がいなかったので、モネの住んだジヴェルニーの家の所有権と父から譲られたコレクション全てを、マルモッタン美術館に展示する目的で寄贈しました。

この寄贈により、マルモッタン美術館では、初期から晩年までのモネの画家としてのあらゆる段階の作品を鑑賞することが出来るようになりました。





*この美術館では、館内での撮影が禁じられていたので、併設のミュージアムショップで
 購入したポストカードをスキャンしたものを掲載します。


「Bras de Seine à Giverny/ジヴェルニーのセーヌの支流」

(1897/Claude Monet)
ジヴェルニースキャンした画像を見ても美しいと思うけれど、本物の表現には到底かなわない。

霧のかかった空気の柔らかい表現に引き込まれる。

 




「Promenade près d'Argenteuil/アルジャントゥイユそばの散歩道」

(1873/Claude Monet)
散歩道アルジャントゥユの柔らかい午後の日差しが雲を輝かせている。気持ちの良い風が吹いて、スカートをはためかせる。子ども連れで散歩する夫婦。

オルセー美術館の「ひなげし」「日傘の女」にも通じる、優しさやあたたかさに満ちたモネらしい一枚。



「Les Tuileries/チュイルリー」

(1876/Claude Monet)
チュイルリー公園モネは自然の素晴らしさを多く描いていますが、他の印象派の画家同様、都会的生活の要素にも関心を持っていました。セザンヌを通して知り合った収集家ヴィクトール・ショッケのアパルトマンから公園を見下ろした風景です。

チュイルリー公園は、今でもパリの中心で人々が集まる散歩道。1871年にパリ・コミューンに持って燃やされ、1883年に取り壊されるまで残っていたチュイルリー宮殿の外壁はこの絵には描かれていません。




「Les Boulevards extérieurs. Effets de Neige/並木道 雪の効果」

(1879/Camille Pissaro)
ピサロこの時期のピサロには珍しいテーマです。もう少し後の1890〜1900年頃にかけて、ピサロは都市的風景を題材にいくつか作品を残しています。

雪の舞う並木道。背中を丸める人物が寒さを伝えています。




「Rue de Paris. Temps de Pluie./パリの通り 雨降り」

(1877/Gustave Caillebotte)
ピサロシカゴアートインスティテュートに保管されている作品の下絵です。カイユボットは、友人だったモネに この絵をプレゼントしました。カイユボットの絵が大好きだったモネは、この絵をジヴェルニーの寝室の壁にずっと掛けていたそうです。

人物の服や傘は明確に描かれているのに、表情だけは曖昧な表現になっています。雨粒は見えませんが、反射した路面の光り具合で、雨が表現されています。
「通り」は、モダンな生活を描くことを好んだこの頃の画家たちが好んだテーマのひとつです。



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